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荒川 洋平(元研究会座長)

東京外国語大学教授、元研究会座長(2017年3月31日まで)

荒川 洋平(あらかわ ようへい)

 

立教大学仏文科卒、ニューヨーク大学教育学大学院修了。デューク大学助手、国際交流基金日本語国際センター専任講師を経て現職(留学生日本語教育センター)。専門は認知言語学。『とりあえず日本語で』『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』〔正・続〕(スリーエーネットワーク)ほか。


<抱負:やさしい日本語版>

わたしは 30ねん以上いじょう外国がいこくじん日本語にほんごおしえています。けれども むかし、だれも この仕事しごとりませんでした。日本語にほんご勉強べんきょうする 外国がいこくじんは、とても すくなかったです。 そのひとたちが 日本人にっぽんじん日本語にほんごはなしかけても、日本人にっぽんじんは そのひとたちを、ちょっと へんひとだな、とおもいました。

でも、それから 日本語にほんご勉強べんきょうする 外国がいこくじんは、どんどん えました。日本にっぽん経済けいざいが よくなったり、みんなが インターネットを 使つかうように なったりしたからです。日本にっぽんくにも その手伝てつだいを しました。社会しゃかいは どんどん わりました。1992ねんに、わたしは アメリカで 勉強べんきょうした あと、日本にっぽんあたらしい 仕事しごとはじめました。それは 「外国がいこくじん日本語にほんご先生せんせい」に トレーニングをする 仕事しごとです。もう、むかしと ちがいます。時代じだい本当ほんとうに、いろいろ わりました。

いま、わたしは 大学だいがく日本語にほんごおしえています。そして、あることが になります。それは、日本語にほんごはな外国がいこくじんたいする、日本人にっぽんじんの アクションです。たとえば、外国がいこくじん日本語にほんごはなしているのに、英語えいごこたえます。また、まだ 日本語にほんご上手じょうずではない 外国がいこくじん日本語にほんごを、とても ほめます。どちらも、とても へんな ことです。日本人にっぽんじん日本語にほんごっているから えらいとか、外国がいこくじん日本語にほんご日本人にっぽんじんより 下手へただから だめとか、そういう かんがえは ただしくないです。日本人にっぽんじん外国がいこくじんが、おな日本語にほんご使つか立場たちばで、仲良なかよくなることが 大切たいせつです。それは、日本人にっぽんじんの ために なります。わたしは そんな アイディアを ちました。そして そのことを トピックにして 『とりあえず日本語にほんごで』という ほんきました。

2015ねんに、電通でんつうという 会社かいしゃにいる 吉開よしかいさんが このほんんで、わたしの アイディアを とても いと ってくれました。そして 日本にっぽん旅行りょこう外国がいこくじんに、日本語にほんごはなしかけて 仲良なかよくなりましょう、はじめに 福岡ふくおかけん柳川やながわという ところで それを やりましょう、と ってくれました。吉開よしかいさんは その ための あたらしい かいつくりました。あたらしい 仲間なかまも できました。わたしは このゆめ本当ほんとうに するために、これから がんばろうと おもいます。


<抱負:普通の日本語版>

わたしは30年以上、外国人に日本語を教える仕事をしています。けれども昔、この仕事は、まったく世の中に知られていませんでした。日本語を学ぶ外国人もとても少なく、日本語で話しかけても日本人に奇異な目で見られるほどでした。

その後、日本経済の進展やネットの発達により、外国人の日本語学習者はどんどん増えていき、社会の認知も高まり、さまざまな政策が実施されました。わたしが留学を終えて最初に勤めた機関は、「外国人の日本語教育」に対する研修を行なっていました。1992年のことでしたが、すでに時代は大きく変わっていたのです。

その後わたしは大学に職を移して現在に至りますが、日本語を教えれば教えるほど、日本人が「外国語としての日本語」に向き合う際の奇妙なメンタリティが気になるようになりました。相手がちゃんと日本語を話しているのにわざわざ英語で答えたり、初級前半の日本語なのに激賞したり、といったことです。自分たちは日本語を知っているからが上、外国人は学習途上だから下、といった見方ではなく、日本語を使ってくれている相手に敬意を払いつつ、日本語で話すことで自分たちも学べるような言語風土が作れないものだろうか。わたしはそんなことを考え、日本語にいる外国人とは日本語で話そうという主張を掲げ、『とりあえず日本語で』という本を書きました。2010年のことです。

その5年後、電通の吉開さんがこの本を読んで賛同してくれ、日本への旅行者にこれをやってみよう、福岡・柳川を起点にこれを全国へ広めよう、という力強い夢を語ってくれました。夢を夢で終わらせないために、一流のクリエーターや志を同じくする研究者が集い、新しい研究会が発足しました。わたしは今、日本語を初めて教えたときと同じような、期待と不安のさなかにいます。そしてそれが何よりも自分が求めていた気持ちだったことに、気づいています。

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